1980年代は空前のバイクブームでした。50ccスクーターが広く一般に普及しましたが、それに満足出来なかった若者の一部は排気量をステップアップするため、中型バイク(400cc未満)の免許を取得しました。当時のバイク免許の取得については、中型バイクは教習所で取得することが出来ましたが、大型バイク(400cc以上)は教習所で取得できずに運転免許センターの技能試験(一発勝負)でしか取得出来ませんでした。運転免許センターの技能試験は合格するのに何回も受けないとならないと言われており、時間的な制約から多くの若者は確実に教習所で取得できる中型バイクを選択しました。
当時は、一般市販車をベースとした鈴鹿4時間耐久レースがありました。これは、400ccの4ストローク車、あるいは250ccの2ストローク車がメインとなっており、その影響も大きく受けて、この2種類のレーサーレプリカバイクが人気を博しました。ホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキの4大メーカーが2種類のレーサーレプリカをこぞって発売し、若者は鈴鹿4時間耐久レースの結果も見ながら、次々と発売されるレーサーレプリカバイクを買い求めました。そして、各地のコーナーが多い峠で派手な革ツナギを着用し、当時流行していたハングオンスタイルで膝をすりながらのコーナーリングを競い合いました。
ちなみに、レーサーレプリカ峠族と暴走族は、全く別物でした。レーザーレプリカ峠族は、純粋にコーナーリングにおける速さを追い求めており、ライディングを楽しむのは峠であって、街中で信号無視をしたり蛇行運転をするなどの行為は行いません。一方、暴走族の多くは、街中で集団で大きな音を出して比較的ゆっくり走る行為が多く、峠でスピードを出すという行為は行いませんでした。従って、両者が同じ時間に同じ場所で行動することはありませんでしたし、たまたま遭遇しても単にすれ違うことが多かったようです。
もちろん、このような極端なことをする若者は少数派であり、多くの若者は節度をとったライディングを行っていましたが、いずれにせよ、メーカーも多くの若者もバイクに熱く魅了された時代でした。しかしながら、1980年代にバイクに魅了された若者も、社会人となればバイクを卒業して自動車に転向する者が殆どでした。当時は、自動車を持つことがステータスの時代でもあり、社会人になってバイクに乗るというのは一般的にはあまり考えられませんでした。
ところが、2020年代に入って状況が少し変わります。1980年代の若者が、サラリーマン定年間近となって子育ても終わり、金銭的な余裕が一瞬できました。また、働き方改革や新型コロナウィルス拡大による行動自粛で、自分の時間が多く持てるようになりました。余った時間をどう使うかとなった時に、1980年代にバイクに乗っていた人たちが再度バイクに興味を持つようになったのです。
次回に続きます。