前回の記事の続きです。
〇死と生による対応
私たちが生まれてから死ぬまで、身体の中では数えきれないくらいの破壊と創造が繰り返され、細胞は毎日入れ替わって、環境対応が行われていることをこれまでに書いてきました。このことにより、私たちは、せいぜい5年ほどしか使えないパソコンやスマートフォン、50年くらいの平均寿命の建築物とは異なり、80年程度の平均寿命を得てきました。では、なぜ、私たちはそれを永遠に繰り返して生きていかないのでしょうか。理論上は、それが可能と思われます。
これにも色々と考え方があるのでしょうけれども、色々と調べて自分なりに納得している考え方は次の通りです。それは、私たちの環境変化能力よりも実際に起こる環境変化が大きいことがしばしばあり、環境変化に対応することが出来なくなることが多いからというものです。
例えば、私たちが子供の頃は、毎日毎日、経験したことが無い新しいことに遭遇したり、たくさんのことを勉強して吸収してきました。つまり、子供の頃は、環境に対応するために全身がそれに順応しようとします。ところが、成年して中年以上になってくると、これまでに経験した生き方に慣れてしまい、なんとか変化なく楽に過ごしていこうとします。逆に、変化することを好まなくなっていきます。こうなってくると、一つの個体が長く生きていくというしくみでは、毎日続く環境変化には対応できません。
そうなると、新たな個体を生み出し、その個体が一からその環境変化に馴染むようにした方が、変化対応力があるのです。環境変化対応を非連続とし、新たな個体がほぼ真っ白な状態で環境対応に望む方が良いわけです。それが、自分の生に限りがあり、子供を作るという私たちの営みになっています。また、子供を作るにあたっても、環境変化への対応がうかがい知れるところがあります。というのは、子供を作るというのは自分一人で作るのではなく、パートナーと遺伝子を分かち合って作るということです。通常は血縁関係に無いパートナーを選ぶため、非連続の変化を子供にもたらすことが可能になります。また、パートナーの選び方としても、その時代に相応しい人、その時代で脚光を浴びている人、自分に持っていないものを持っている人など、よりその時代の環境に対応できる人を選ぶ傾向にあります。つまり、自分が生まれた時よりも、子孫を残そうと思った時にベストな人を選ぼうとするのです。
このように、私たちは、一つの個体で環境変化を乗り越えようとするわけではなく、パートナーとともにこれまでになかった新しい個体を生み出し、その個体に新しく環境変化をさせることによって、自分の遺伝子を残す確率を上げているのです。
次回に続きます。