〇「生命は機械ではない、生命は流れだ」
NKHキュメンタリーの最後の講義「生物学者 福岡伸一」を視たのですが、とても興味深い内容でした。それは、細胞がどんどん入れ替わり、1年前の自分と今の自分は物理的には全く別物だという内容です。更に詳しく書くと、私たちは、食事をするとエネルギーを吸収して余ったものが排泄されるというのではありません。食事をすると、それらの多くが今ある細胞と置き換わって、今ある細胞が排泄されていくのです。それを知ると、物理的には1年前の私と今の私は全く違う物質と言うことになります。
自動車のような機械は、機械自体は全く変化せず、ガソリンなどを燃やすなどして動きます。しかし、私たちは違うのです。私たちそのものが変化していっているのです。これが、冒頭の「生命は機械ではない、生命は流れだ」という言葉になります。いままで、物質としての自分は全く変化せず。食事はただのエネルギー源だと思い込んでいた私にとっては衝撃の内容でした。そこで、ネットなどでこのことを更に勉強し、自分なりの理解と今後の人生観を考えようと思いました。
〇変化をしないものは壊れやすい
機械や建物など、形あるものは頑丈であるように見えても、その機能を残したまま在り続ける期間というのはそれほど長くありません。例えば、自動車などは、10年も動けばよい方ではないでしょうか。スマートフォンなどは5年動けば長い方だと思います。一方、長いと思われるビルなどでも、平均寿命は50年から60年などと言われています。これらは頑丈だと思われがちですが、日本人の寿命が80歳程度ということを考えると、圧倒的に私たちの方が長生きです。機械や建物は作られたときが一番性能が良いわけですが、次第に性能が落ちていきます。また、機械や建物の性能が変わらないにしても、周りの環境が変われば使えなくなってしまいます。パソコンやスマートフォンは、オペレーティングシステムやソフトや通信方式などが変われば、あっという間に使えなくなってしまいます。建物も、それ自体が古くなって崩れることもありますし、以前のように、必要な電気が通っていない、通信ケーブルを張り巡らせることができない、といったような時代にそぐわない建物は使われることが無くなってしまい、結局は壊れてしまうことになります。
よく知られるエントロピーの法則、すなわち、すべてのものは放置すると煩雑になっていくというものがあるため、機械や建物など固定されたものは煩雑になっていきます。また、それぞれが変化しなくても周りが変化して煩雑になっていくため、それを受けて機械や建物も壊れていってしまうのです。変わらないものは、壊れていってしまうのです。
次回に続きます。