前回の記事に続き、これまでの人生経験に基づいて、次の時代もある程度予想しながら、順不同で子供たちへのアドバイスを書いていきます。
〇孤高で立つ覚悟を決めよう
人生を過ごす時の気概の強さというのは、人それぞれです。仕事でも地域でも家庭でも、自らリーダーシップを取って困難に立ち向かう者も居れば、なるべく前に立たないようにして風をよけながら上手に世の中を渡っていこうとする者も居ます。人の生き方はそれぞれであり、心と体の強さにもよりますので、一概にどんな生き方が良くてどんな生き方が悪いと言えるものではありません。ただ、仕事や地域や家庭で、何か問題が起こった場合において、他にその問題を解決しようとする人が居なかったり、周りから自分が解決するように期待されている時などは、損得にかかわらず自ら立ち上がって解決して欲しいと思うのが、私が子供たちに期待する気概です。もちろん、健康上の理由などの別の理由があって、その問題を解決することが負担になったり誰かに迷惑をかけることになるのなら話は別です。しかし、そういった特段の理由がないならば、進んでトライしてみてはいかがでしょうか。
もちろん、自ら立ち上がるというのは、特になるというよりは損になることが沢山あります。他の人のためにやっているのに自分の利益のためにやっていると誤解されたり、試行錯誤してやっているのに他の人からやり方が悪いと非難されたり、自ら立ち上がるというのは、大変なことばかりです。通常で考えると損する多くて得することが殆んどないように思います。これは経験上、事実だと思います。短期的なプラスマイナスだけで考えると、マイナス部分が多いと思いますので、後ろ向きな考え方ではなかなかやってられません。
ですが、長期的に考えると多くのメリットが存在します。自ら立ち上がって動くということは、多くの人を動かす必要があります。人を動かすというのはなかなか難しいもので、その経験をこれで積むことが出来ます。また、誰も対処しようとしない問題を解決するということは、他人が出来ない経験を積んだり、他人が持っていない能力を取得出来たり、といったメリットがあります。このようなことは短期的には役立つことが少ないかもしれませんが、長期的には色々な場面で役立つことでしょう。私の経験上、仕事でも地域でも家庭でも、皆がやらないことを自ら進んでやったことが、将来の自分を助けていることが殆んどです。逆に、誰でもやること誰でもできることは、それが将来に役立ったことはあまりないように思います。
誰もやらないことを自ら立ち上がってするということは、短期的には辛いことが多いです。ですから、孤高で立つ覚悟をもち、それが人のためになる、いつかは自分のためになると信じて、やっていくしかありません。愚痴を言わず淡々とこなしていって、大きな強い人間になっていきましょう。
26回に渡って書いた本シリーズは、一通りのことを記載したので、いったんここで休憩します。また、記事が集まれば、タイミングを見て再連載するかもしれません。