前回の記事に続き、これまでの人生経験に基づいて、次の時代もある程度予想しながら、順不同で子供たちへのアドバイスを書いていきます。
〇過去に浸らず、常に新しい社会に順応しよう
職場でも酒場でも、先輩や上司が集まると、昔に比べて悪くなったシステムや若い人たちの言動を取り上げて非難しがちです。「昔は違った」「以前はそうじゃなかった」に代表される表現です。確かに、時代が進むと、以前に比べて衰える部分があるのは確かなことです。もちろん、以前と今を比較することは大切ですけれども、良かった過去を懐かしがったり悪くなった今の時代を否定することは、それだけでは実はあまり意味がありません。
時代が進むにつれ、人類は経験と知識が増えていきます。このことにより、新しい時代ほど古い時代よりも複雑になっていきます。常に新しいものが出現し、古いものを捨てるか簡略化するか調和させることにより、新し時代を作っていきます。昔はできたこと、昔は良かったことも、新しい時代では優先順位が落ちて出来なくなったり、新しい時代のしくみでは実現が難しくなる場合がでてきます。このような理由から、以前から悪くなったことを、例えば一つだけ取り上げてそれだけを否定したり、以前は良かったという考え方は、正しいとは言えないでしょう。
大切なことは、常に今の時代において、あるいは新しい時代に向かって、自分がその社会の中心人物・主役の一人として参画し、その中で物事を判断していくことです。スポーツで言うならば、観客として非難するのではなく、プレーヤーとして色々と判断しながら活躍することが大切なわけです。今の時代は、様々な形で社会に参加することができます。幅広い選択肢があるわけですから、その中で新しい社会に順応しながら、いまその時点でプレーに参加して判断することが良い時代を作ります。
もちろん、自分が置かれた色々な環境や状況のために、スポーツで言う観客の立場やコーチの立場で社会に参加せざるを得ない場合もあります。ですが、観客がプレーを見ずに過去の良いプレーだけを振り返ったり、コーチが今の時代を無視して、以前の単純なトレーニングを強要したりするだけでは、プレーヤーは言うことを聞かないでしょう。観客やコーチとして参画するのであれば、今のプレーヤーのファンであり、今のプレーヤとともにどうすれば良くなるかを一緒に考えて進むことが必要ではないでしょうか。今の時代を生きるにあたっては、片隅でも良いのでその社会に参画し続けたいですし、参画していなくても応援するとともに共に良くするにはどうするかを一緒に考える立場であり続けたいものです。決して、過去に浸り今の時代を否定するだけの人にはなりたくないものです。
次回に続きます。