大藪春彦のデビュー作。1958年発表。汚れた英雄、蘇る金狼など、数ある大藪作品の中でもハードボイルド度合いが高い作品だが、野獣死すべしシリーズの中でもデビュー作は異色の存在と言える。というのも、早稲田大学在学中という若い時代に書き上げたため、年齢を重ねることによる物事に対する多くの見方、人に対する多くの複雑な感情、等が少ないため、若い主人公が捻じれた方向に臆することなく一直線に進んで行く恐怖が見事に表現されているのである。
主人公:伊達邦彦はハルピンに生まれる。父親は会社を乗っ取られ、多くの死と残虐行為が行われる戦時中の混乱の中を生き延びてようやく帰国する。帰国後は、学生になるが、ボクシング、射撃に傾倒していく。そして、遂には悪意と憎悪の独特の人生観が形成され、殺人、強盗の犯罪計画を冷徹に淡々とこなしていくことになるのである。
現在の日本のように、子供たちが親と周りに守られ、危険、恐怖、矛盾から隔離されている社会とは全く異なる。人が騙しあい、殺し合い、残虐行為が繰り返され、家族も人に騙されていく。そのような中、強い精神力と体力、そして知力がある若者が、犯罪計画を冷徹に淡々とこなして大金を手に入れるという行為は、ある意味、その社会を生きるために必要なことである。法の秩序で守られた社会とは違うのである。
本作品の主人公:伊達邦彦は、冷徹に殺人、強盗を繰り返していくが、そこには不思議と「悪意」というものを感じず、「非難」したい気も起らない。親や周りに守られて大きな不自由なく成長した者が、自分の我儘や趣味のために他人を落とい入れるというのは、「悪意」を感じて「非難」したくなる。しかし、置かれた環境、与えられた環境の中で、確実に犯罪計画をこなしていく姿は、もし、置かれた環境、与えられた環境が現在の日本であるならば、優秀な学生、ビジネスマンになったであろうと思う。人は、環境によって進む方向が変わってしまうのである。
このようなことは、今の身近では起こりくいことであるが、ごくたまに今の日本でも起こりうる可能性がある。また、世界に目を向ければ、戦争やテロは常にどこかで発生しているため、主人公:伊達邦彦のような人物というのは世界のどこかに居る可能性は高いと考えるべきであろう。特に、日本は島国で他国とは離れており、しくみやシステムが網羅されているため、このようなイレギュラーなことが起こるとはますます想像しにくくなる。そういった意味で、この本は殺人の場面など刺激が強いために読む人を選んでしまうのだけれども、人は環境でどのような人にもなってしまうということを再認識するためには、おススメの一冊である。